2014年9月30日火曜日

幼少期 2 ~かのんになるまで~

幼少期1からの続きです。


普段はなんとなくだれかと常に会話をしているようでした。何ってわけではなく、なんとなく、1人で頭の中で会話を続けるような感覚です。きっと、物心ついた時にはもうすでにそうだったように感じます。私にとってそれが普通でした。実際におとなしく、あまり話さない子供でした。いつもひとりでぼぉーっとしてると親には思われていたようです。何度呼んでも返事をしないので「いい加減にしなさい!」と怒られることが多かったです。私としては誰かと話してるので、話しかけられても聞こえないのです。突然いい加減にしなさいと怒られるので、いつも大人は急に怒ると思ってました。

今思うと私が話していたのは、ハイヤーセルフだったようです。ハイヤーセルフと話すことで、バランスをとっていたのかもしれません。
魔法が使えると真剣に思っていて、「なんで使えないんだろう?おかしいな。使えるはずなのに。」って思ってたくらいですから(笑)でも子供はだれでもそう思いますよね?あれ?違う?💦
ハイヤーセルフが話し相手になってくれたおかげで無口になりがちでしたが、周りに対しておかしなことは言わなくなったので、病院に連れて行かれずに済んだのかもしれません。


そして、小さい頃から絵本や本をよく読みました。とくに小学生の高学年にかけて、たくさん読みました。楽しいという感覚はあまりなく、とにかく学校の図書室、区の図書館で借りては、読みあさってました。その時代は手書きの図書カードで、すごいスピードでカードが更新されました。その頃、友達はコックリさんをして遊んでいましたが、私は一度も誘われることなく経験しませんでした。

中学になる頃には他の子との違いを感じ、どうしたらあの子たちみたいになれるのかばかり考えていました。趣味を合わせたり、行動を共にしましたが、感情がついていけず、どこか大人びてるとか、落ち着いてると言われるようになり、やっぱり違いは埋められず、ガッカリしていました。
その頃から両親の仲が悪くなり、いつしか、母親を守ることで自分の価値を見出そうとしていました。そのために大好きだった父のことを嫌いになることが必須でした。思春期の影響も手伝って、敵対心を持ってしまいました。いなくなればいいと思っていたことは、あとになって罪悪感として、心に重くのしかかっていました。

また、みんなと私の間に薄い透明の膜のようなものを感じ、立っていても自分だけが宙に浮いていると感じていました。まるで、透明のシェルターのようなものの中で生きている感覚です。

神戸で事件あった時、犯人が自分のことを「透明な存在」と言っていたのを聞いて、自分の中の非現実的な感覚と重なり、恐怖を覚えました。今のところ何も事件を起こしていないことにホッとしたのを覚えています。

また、幼い頃から一度もなりたいものが見つからず、困ってました。大きくなったら何になりたいかと質問を何度かされましたが、なぜみんなすぐに答えることができるのかわかりませんでした。その場その場で、隣の子のマネをしてごまかしてました。
そして中学では、愛人になろうと思ってました。そのころはまだ援交とかないです。なのに愛人の思考って…。本当の意味を理解していなかったとは思いますが、とても冷めた子供だったようです。何か明るいものに向かうことを避けていたようで、今思うと、自分の中に幸せになることに対しての抵抗がありました。

思春期特有の不安定さがこの頃とても強かったです。
でも、ありがたいことに恐ろしい現象は、少なくなりました。そして、成人して、子供が生まれるまでは年間に数えるほどしか、霊障には会いませんでした。

長い間読んでくださり、ありがとうございました。



0 件のコメント:

コメントを投稿